ユウサク
あなたには好きだと感じる人、嫌いだと感じる人はいますか?
好きな食べ物や、嫌いな食べ物はどうですか?
好きとか 嫌いって いつも何気なく使う言葉ですが…。
そもそも好き 嫌い…これって いったい どんな感情なんでしょう?
普通は嫌いだと「顔も見たくない」、「近づきたくない」、「触れたくもない」…そう思うハズなのに…なぜか気になって SNSを見てしまったり、わざわざ炎上させに行っちゃったりする人もいます。
それは…本当に「嫌い」なんですよね?
今回は いつも普通に使っている「好き嫌い」なんて感情をちょっと掘り下げてみます。
もしかしたら…とんでもない間違いを…わたしたちは…しているのかも…かも…かも?
好き嫌いとは
現代の日本人は、人付き合いがとても「希薄」だと言われています。
人に関心を持たず、関わらず、遠ざける事で 面倒な事から逃げて全てを解決しようと するからでしょうか?
それとも全ての事が金によって回るようになってしまったせいで「人付き合い」が必要なくなってしまった からでしょうか?
様々な原因があるように感じますが、それらの根底には「他人との関りを拒絶する感情」つまり「嫌い」という感情が「毒」となって蔓延しているような気もします。
人はいつからか「好き」と「嫌い」という概念によって 人を見て分けるようになりました。
モノに対してなどは昔から使われていた であろう このような言葉が、他人との関りに使われるようになったのは、恋愛ドラマや 恋愛映画の影響を大きく受けているのではないでしょうか。
「恋愛至上主義」なんて言葉が現れて、恋愛をする人間が羨ましい? 恋愛は尊い? 結婚は目標? なんて…実際は これらは「人付き合いの延長」でしかないハズですが…。
「男」と「男」の人付き合いが、「女」と「男」になっただけで、こんなにも「飾りがついて」、「見栄えを気にして」、「よいしょ」されるのですから…メディアの力は恐ろしいものです。
ちょっと脱線しましたが…。
「好き」と「嫌い」という言葉はとても便利な言葉のように感じます。
他人に対して 自分の思いをストレートに表現できて、相手もそれをストレートに受け止める事が出来ます。
ですが その結果、安易に「好きか、嫌いか?」の二択のみで人間関係を判断して しまいがちです。
例えば、芸能人などをテレビで見ていて、以前までは「好き」だったけど…、「とある発言が許せなかった…!」それだけで「嫌い」になってしまった事ありませんか?
今までずーっと応援してきたハズなのに…「たったの一言」それがどうしても許せない!
ただその一点だけの「嫌い」で、全てが「嫌い」に偏ってしまうのです。
全ての「プラス」のエネルギーを、一瞬で「マイナス」へと転化するのですから、それは とても強い言葉で、強い感情です。
ですが、それは本当に自分の感情と言えるのでしょうか…?
大きな「関心」があるハズなのに「好きか嫌いかで分けなければいけない」と錯覚してしまったために「嫌い」に分類してしまったと言えませんか?
自分が今持っているドキドキはなぜ発生しているのか?
なぜイライラしているのか?
相手をどうしたいと思うのか?
自分の感情を理解しようとしない、またはコントロール出来ないから「嫌い」という言葉に頼って「拒絶」してしまう事で逃げようとしている…そんな風に見えてしまいます。
好きの反対は無関心
「好き」の反対は「嫌い」だと思うでしょうが、実は「好き」の反対は「無関心」です。
好きという感情は、好意的な感情が 相手に向かっている状態です。
嫌いという感情は、怒りや 嫌悪的な感情が相手に向かっている状態です。
どちらも相手に 何かしらのエネルギーが向かっている状態です。
好意的な感情を送る目的は「相手をどうにかしたい」、「自分を見て欲しい」、「自分を満足させたい」という感情でしょう。
そして、怒りや 嫌悪的な感情は「自分の思った通りにならない」、「自分を見てくれない」、「自分が満足できない」事で発生します。
つまり、好きと嫌いは「全く同じエネルギーを相手に送っている状態」と言えます。
「嫌い」というのは 相手から望まない結果が返って来た時に、逃げるように、傷付かないように、見えないように「拒絶」している状態に過ぎない…という事です。
簡単に言うならば、相手から返って来るエネルギーによって「自分の表現を変化させているだけ」なのです。
よく、好きと嫌いは「ウラオモテ」、愛と憎悪は「背中合わせ」なんて表現がされますが、同じ感情からくるエネルギーなのですから当然と言えます。
そして、そのエネルギーの正体は「相手への関心」というエネルギーなんです。
相手への関心がある状態を「好き(もしくは嫌い)」と するのなら、相手に全く関心がない状態は「無関心」です。
好きであろうと 嫌いであろうと、相手に感情が向かっている段階で、それはもう「関わろうとしている」ということなんです。
本当に相手に関心が無くなった時、どうでもよくなった時、その時が「無関心」であり、「本当の嫌い」なのです。
・嫌いは逃げということ
嫌いという言葉を使うという事は、相手との関係から逃げ出そうとしていると考えられます。
本来ならば 相手の感情はどうであれ「自分の関心が相手に向いている」それだけで関係は成立するハズなんです。
自分の感情のみで決めるのですから、もし 求愛して振られたからといって 執着してしまったり、相手を憎んだりといった事は一切ないハズです。
「自分に魅力がなかったんだ」
「相手の関心をもっと引かなくっちゃ」
「やり方が違ったかな?」
といった自分自身の悩みや、問題になるハズです。
ですが、相手の関心を引きたいだけなのに、好きや、嫌いという感情が入ると、「嫌い」から「好き」に変えなくてはいけない!と錯覚してしまいます。
つまり、「相手をどうにかしなければいけない」と思ってしまうのです。
その結果、
「なんで俺の事を好きにならないんだ」
「俺を好きにさせてやる」
「むかつくむかつくむかつくゥ!」
と、自分が変わるではなく 相手に変わる事を求めてしまう訳です。
自分の問題に目を向けるではなく、相手に責任を押し付けて、自分は傷付かず、逃げるようにして「嫌い」と言うのですから…、言われる方は たまったモノではありません。
嫌いという言葉の毒性
「嫌い」という感情が「希薄な人付き合いを毒している」と上の方で書きましたが。
「好き」、「嫌い」というパターン(概念)は、本当は拒絶したくない人間を遠ざけてしまい、自分に必要な人間でさえも拒絶してしまう、「人間関係を壊す言葉」です。
「子供の教育」を 観察すれば 分かりやすいかもしれませんが、
例えば、子供に 食事を出す時に、子供の顔色を伺って「これ好き?これ嫌い?」と毎回のように聞いていくと…子供は「好きか、嫌いか?」でしか食べ物を見なくなります。
子供は素直ですから、一度「嫌い」と決めつけて「拒絶」してしまうと、それを ひっくり返すにはとても苦労する事になります。
つまり、好きなのか、嫌いなのか?を極端に求めた結果、そのどちらかでしか物事を判断できなくなってしまうという事で…。
そして、一度決めた極端な答えは「簡単には覆せない…」という事も分かってきます。
日本では この言葉が 既に蔓延してしまっています。
それは直感的で分かりやすく、とても簡単に 人を拒絶できてしまうから…とも言えます。
ですが、それでいいのでしょうか?
この「嫌い」という感情・言葉は、徐々にあなたの周りを毒していく「神経毒」のようなモノです。
自分の問題から目をそらすのも、他人に何かを擦り付けるのも、簡単な言葉で解決してしまうのも…まずはヤメてみませんか?
「拒絶された」という感情も自分が作り出した幻覚です。
「好き」と「嫌い」の二つで分けようとするから人間関係はややこしくなるのです。
本当は 強い関心を持っているハズなのに…一緒にいたいからこそ感じる痛みのハズなのに…。
たった1個の嫌いなところによって…、他の99個に関心を持っていたとしても、まとめて全てを拒絶してしまうのですから…。
好き嫌いを超越する
この「嫌い」という概念が人の関係をややこしくさせ、人の繋がりを断ち切っています。
恋愛や 人付き合いを考える上で必要なのは「好き」か「嫌いか」の二択ではなく、「自分自身が相手に関心を持っているのかどうか?」その一点のみです。
その一点のみを意識する事で人付き合いはずっとイイ方向に流れるようになります。
まず、「嫌い」という表現や 言葉を使わない事。
そして、今の自分の感情と向き合って「好き、もしくは嫌いだと思う理由」を考えてみてください。
今あなたが相手に抱いている感情は、相手の事を考えるあまり感じている感情です。
あなたのエネルギーが相手に向かっている証拠です。
とても強い嫌悪感を感じる…。
とても好きだ…。
どちらも、相手へ送るエネルギーが とても強いからこそ感じるものです。
その感情の一歩先に踏み込んでみて下さい。
「好き嫌いを超越」するのです。
そうする事であなたの世界はもっと広がるハズです。
まとめとか感想とか
ここまで「キリィィい!!」しまくりながら記事にしましたが…、わたしも普通に「好き」、「嫌い」使います、余裕で…
それは、やはり「直感的で分かりやすい」からなんでしょう。
関心があまりなくて マイナスな感情の時に「嫌い」といった一言はとても簡単な表現です。
ですが、人付き合いの考え方においては、そのお手軽感に頼ってはいけない。と言えます。
冒頭で書いたSNSの話なんかは、見に行っちゃうぐらい興味があるハズなのに、自分で自分に「嫌い」という暗示をかけて「拒絶」するんですから…「バカなんですか?」と言いたくもなります。
そういった判断で人を見続けてしまうと…、本当に必要な人まで遠ざけて 拒絶してしまう可能性がある ということを知っておくべきです。
しっかりと向き合い、関わろうとする心さえあれば、好きも嫌いもないのだと思います。
それに気付けば、今あなたが感じている「嫌い」の感情は「ナゼなのか?」、「どうしてこう思うのか?」という疑問に繋がっていくハズです。
拒絶してしまうのは とても簡単で楽な行為です。
ですが、その一歩先へ踏み込む事で あなたの人生は変わるかもしれません。
あ、本当に どうしようもなく憎くて嫌いなんだ!という場合は 考えても無駄なので、「無関心」へと移行させるように「自分の心をコントロールする」事をオススメしますよww
ではでは、今回はここまで。また次の記事で会いましょう。
迷った羊の疑問
英語なんかを見れば分かるけど、「嫌い」の事を「don’t like(好きではない)」って言うよね?(英語に「嫌い」という言葉はないからね)
「好きではない」とすれば、「好き」以外の ふわっとした感じになるからいいと思うよww
無理なら紙に書いて ビリビリに破いて捨てるとか?
結局は、自分の心と向き合わないといけないんだけどね。
人は形の見える「ハッキリとした答え」を求めたがるからね。
「愛とか恋」、「好きとか嫌い」それは、毒入りの花…って事なのかもね…。
あ、キモは、キライじゃないからいいよねッ?